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パプアについて】

インドネシアは、1万以上の島々からなる群島国である。

数ある島の中でも特に特徴のある島の1つは、パプア(元イリアン・ジャヤ)だ。パプアのバリアム渓谷は、標高5,000m以上の山々とその回りを取り巻くジャングルに囲まれている。その為に外界から隔絶され、近年まで原始時代的な生活習慣のもとで生活する人たちは発見されなかった。今では飛行機による交通の確率やキリスト教の布教活動などにより生活習慣は変わりつつあるが、かつての習慣と西洋文明が並列して存在する興味深い地域になっている。

どこでも訪れる日本人旅行者だが、2004年度のバリアム渓谷訪問日本人旅行者数は合計104人と少ない。世界中からの旅行者数も合計1000人であり、まだこれから観光化が進むかもしれない地域でもある。周囲を美しい海に囲まれたパプアは、スキューバダイビングなどで潜っても美しそうだ。

いまだに訪問者が少ないことの理由はいくつか考えられるが、
大きくは下記の3点があげられる。
 1.インドネシアからの独立運動が盛んなこと(近年は大きな争いは起きていない)
 2.パプア外洋付近からバリエム渓谷までの道路がないこと(建設中)
 3.旅行許可証(スラットジャラン)が必要なこと


パプア山間部のバリアム渓谷を訪問する旅行者の多くは、ジャングルや山々の中にある村々へのトレッキング
に出る・・・

【準備】
・寝袋。または毛布。
・懐中電灯。
・カメラ。
・薬品(常備薬)。
・冬服。服装は登山にふさわしいもの。
・雨具。
・非常食。
・好奇心。
・基本的なインドネシア語
※その他、食料など必須のものはガイドに準備してもらうことが可能。

写真のページはこちら。



パプアはアマゾンだった。

ジャヤプラ行きの飛行機に乗るために、タクシーで空港に向かった。
なぜか(よくあることだけれど)メーターでは行ってくれないので、するどく交渉。マユが頑張って値切った。空港は割りと遠かったけれど、交渉でお互いに納得したとおりの料金で空港に到着した。
そう、不思議なのだけれど、料金は交渉で決まったと言うのになぜかメーターをオンにしているのだ。もしかしてメーターの料金で行ってくれるのか!?などと淡い期待を抱かされてしまった。

空港は他と同じで全ての物価が高い。お土産(いらないけれど)も、水も、食料も。
インスタント(インドミー)のミーゴレンだけが安いので、マユと2人で食べる。お腹を膨らませると気分はよくなり、あとはボーディングを待つだけとなった。

安いチケットを購入したつけが出たのか、ジャヤプラ行きは遅れた。どれくらい遅れたのか・・・、どうも正確なところが分からない。その後に立て続けに飛行機に乗ったのだが、チケットに書いてある時間とは関係ないようなのだ。それは、日本ではとても考えられないが「早く準備ができれば飛んでしまう!」「遅くなったら遅れる。」ただ、それだけのようであった・・・。遅れることは日常になりつつあり、心安らかに出発を待った。

飛行機はティミカを経由してジャヤプラに向かう。
ティミカは大きな街ではないが、多くの飛行機が経由していくのだ。フリーポートでもあり、石油やガスの埋蔵があり、それらの会社が多く進出しているらしい。街はジャングルの中にある、田舎町といった風情。空から見ても、大きな川や緑に比べると余りに小さな人工物がいくつか見える程度だ。日本の田舎にある村の方が規模が大きそうだ。ともかくも、これでもパプアでは大きな街の1つだということで、かえって興奮して街を眺めることができた。

だって、せっかくここまで来たのは、そういった、まだ開発が進んでいない、西洋文明が普及しきっていない場所を見たいがためなのだから。



パプア上空から飛行機で見る風景は凄い。
今までに見たこともない風景だ。何かの写真で見たような、アマゾンのジャングルを彷彿とさせる。緑の樹木の間を、土色の川がクネクネと動き回っている感じ。しかも、川は枝分かれしたり合流したり。しかも、どちらに流れているのか分からないような支流もたくさんある。網を森に投げ、網の部分を川にしてしまったような大胆な景色だ。パプアの地図を眺めても、余り道はない。それを納得させてくれるのに十分な風景だ。
アジアにこういった場所がある(パプアがアジアということに、少し疑問もあるけれど)のも新鮮な驚きだった。

●ジャヤプラ空港(センタニ)はインドネシアではなかった。

「黒人がたくさんいるね・・・」
「インドネシアじゃないみたいだね・・・」
「髪の毛もパンチパーマだね・・・」

ジャヤプラ空港には、今まで訪れたインドネシアとは明らかに人種の違う人たちが待ち構えていた。しかも、ポーター風の制服を着た人たちが数十人もいるのだ。お客と同じくらいの数がいる。
私たちは外国人ということが一目で分かるためか、たくさんのポーター(兼客引きのようだ)がよってきて面倒。預けた荷物もピックアップしないとならないので、しばらく彼らの勧誘などの相手(無視とか・・・)をしないとならなかった。パッと見で、外国人旅行者と分かるのは私たちだけだった。そんなこともあり、彼らは真剣だったのだろう。

何かの本を読むと、パプアはインドネシアに含まれてはいるが、文化・民族的にインドネシアとのつながりはないらしい。人も違うし、雰囲気も違う。空港に着いただけで、なんだか分からないがそれを感じることができる。インドネシアのなかにある異世界に来たようだった。

●スラットジャラン(入域許可証)の取得。(センタニ)

ロンリープラネットの東南アジア版には、スラットジャランは警察署で取るとだけある。
空港のあるセンタニから、大きな街であるジャヤプラまでは30km以上もある。スラットジャランの取得のためだけに訪れるのはとても時間とお金の無駄なのでセンタニで済ませてしまいたかった。

「警察署はどこにありますか?」
空港担当らしい警察官に尋ねると
「タクシーで警察署と言えばすぐに連れて行ってくれるよ!」
とのこと。当たり前だ。でも、それでは終わらずに親切なお言葉が!
「今から警察署に行くので、連れて行ってあげるよ。」
とてもありがたい。しかも、彼らの中の1人(若いが偉そう。名刺を貰ったのだが、肩書きが何かの責任者のようであった)は研修で日本に数ヶ月もいたらしい。しかも横浜にある高級ホテルに政府の費用で滞在。羨ましい。
ともかくも日本の印象が良かったようで、写真を見せてもらったり、親切にしてもらった。なぜか胸に警察が付けているバッチまで貰ってしまった。私もこれをつけて街を歩いていてよいのだろうか・・・?

警察署ではスラットジャランの発行はスムーズに行われた。
ただし、あとで分かったことだが不手際もあり、料金もなんだか高い。まるで賄賂のようだが、旅行者が警察にたてつくわけにも行かない。素直に払うしかなかった。日本に行っていた人に値段を聞いておけばよかった(担当が全く違うようだったが)と、少し残念だった。

ともかく、30分もかからずに終了したので歩いてセンタニに向かった。皆が歩いて街に戻れると言う。普通の暑い国の人は、少し遠いと「歩きでは無理だ。遠すぎる。」と言う。少なくとも私はそういうと思っていた。だから、歩いていけると聞いたときは、とても近いかと思った。
歩き始めるとナカナカ遠い。これはどうもパプアでは歩いている人が多いので、歩いていける。という距離であり、インドネシアの他の地域とは感覚が全く違うようであった。重いバッグも背負っているので途中で諦め、私たちはタクシーに乗った。現地の方が、途中で協力してタクシーに乗せてくれた。タクシーは23円ほどでとても安かった。初めから乗ればよかったのだが、こんなに安いとは。高くお金を取ろうと言う感じでもなく、とても便利だった。

●センタニのホテルは高い!

センタニの町
センタニでホテルを探す。ガイドブックに載っている所もあたるがどこも高い。ガイドブック通りの値段の場所はなく、全てが値上がりしているのだ。

高い割に設備はたいしたことがない。単にホテルも少ないからか・・・、競争がないのだろうか。

諦めかけつつも1つのホテルの近くにいたインドネシア人に聞いてみた。
「そこのホテルは高いですか?安いホテルを探しているのですが。」
「そこは高いよ。15万ルピアはするよ。」
「どこか安いところを教えていただけますか?」
「ちょっとこっちに来て下さい。」
彼は入り口から身体を出していたのだが、私たちを誘い、家の方に案内した。家族にも聞いてくれ、2つのホテルへの道を書いてくれた。とても親切にしてもらいとてもありがたかった。彼と、その奥さん、そして母親と思われる人に手を振りながらありがとうと伝えた。

教えてもらったホテルは、探した中では一番安かった。
と言っても、他の街と比べたら安くはない。でも、ともかくも8.5万ルピアで泊まれることに満足しなければならないようだった。部屋には効きの悪いエアコン(本当に効かない。気持程度。)と、マンディが付いていた。高い値段を払っても、ホットシャワーどころかシャワーすらないのだった。

街は小さい。メインストリートの周りにいくつかの店が続くと言う、ただそれだけだった。ただ、インターネットカフェが1軒あり、それはとても意外だった。中には地元の人がたくさん居て、とても賑わっていた。どこでも時代はインターネットなのだった。

泊まったホテルには、旅行者ではなく、サッカーチームやワメナからの留学生などが多く泊まっていた。ホテル兼アパートといった感じなのだろう。彼らにとっても私たちのような旅行者は珍しいのか、インドネシア語の勉強も兼ねて(勉強は私たちだけだが)いろんな話をした。サッカーチームや学校、そして内陸にあるワメナとジャヤプラなどの経済格差。物価の違い(輸送費がかさみ、ワメナの物価は極めて高い)。言葉の違い。気候の違い。

ワメナに行く前に、とても勉強になった。到着からずっと雨が続く嫌な天気の中、時間を有意義に使えた。

●パプア(イリアン・ジャヤ)について。

パプアは、普通の東南アジアの地域に比べるとずっと遠いのだ。金銭的にも、気分的にも。そして何よりも「他に訪れるところが多くて、ここまで辿り着かない」というのがある(他の人は違うかな?)。今回の旅でも、訪れることは予定していなかった(予算を考えると難しいので)。ボルネオ島を訪れてから、あれこれとインドネシアの旅について考えて、ようやくパプアが視野に入ってきた。しかも、飛行機代が高いので直前まで決められないでいた。
パプアを訪れたら、多くの旅行者にとって訪れるべき場所はワメナだ。ワメナは飛行機を使わなくては訪れることができない。随分前から道路も建設中らしいが、ジャングルや5000m級の山々を越えるような道を作るのは大変でもあり、まだ完成は遠いようだ。

2004年の1年間にワメナを訪れた外国人旅行者は、ちょうど1000人。凄い偶然の数字だが、その数字の小ささにも驚かされる。日本人は、ドイツとベルギーに続いて3番目に多い105人であった。日本人はどこにでも訪れるイメージがあり、数字の少なさはとても意外だ。
ワメナを含むバリエム渓谷で行われるお祭りのシーズンである8月に、全体の訪問者の3割ほどが集中している。そして、他の時期は閑散としてしまっているようだ。数多くないホテルも空室が多く、部屋探しの際にも全く人気のないホテルや営業を停止しているようなホテルが多かった。実際に私たちが宿泊しているホテルも、宿泊客は他にいない。このような状況であれば普通の地域でなら値下げ交渉も可能だ。しかし、同程度の値段のホテルが少なく、客層の住み分けができているからか交渉ができなかった。しかも、年々とホテルの値段は上がっているらしい。

ちなみに、街でも一見して旅行者と分かるような外国人を見かけることはほとんどなかった。

●ワメナ空港で別室にて取調べ?

ワメナ空港
空港に着くや否やガイドが寄ってきた。

これは観光客の少ないワメナではやむを得ないのだろうがやめて欲しい。「ワメナ到着!」という感傷に浸ることもなく、人が押し寄せてくると何だか良くない印象ばかりが残ってしまうのだ。私だけかもしれないけれど、空港の外くらいまでは静かにほっておいて欲しいな。

ワメナでは空港到着次第、スラットジャラン(旅行許可証)を提出する必要がある。私たちは、センタニで発行してもらったスラットジャランを提示した。
しかぁ〜し、問題発生なのだ。センタニでスタンプを忘れたらしく、私たちの写真と担当者の署名の上にスタンプが押されていないのであった。

別室にて取調べ?何だか嫌ぁ〜な雰囲気が漂う中、スラットジャランを調べられる。そして、しばらくして、ホテルを決めるように言われた。ともかくもワメナには滞在はできるようだが、トレッキングに行けるのか不明だった。そして、夕方以降に処遇が決まると言うことでホテルを探しに出かけた。
(どうなることやら・・・)
(役所仕事はこれだから・・・。どうせ賄賂だろ・・・。)

どこもホテルが高い。質の割に値段が圧倒的に高いのだ。値段にばかりこだわっている訳ではないので、コストパフォーマンスに納得できればそれでよい。しかし、ワメナは高いだけで質は全く伴っていなかった。仕方ないので一番安いと思われる宿に決めたが、水は茶色い。しかも、水が欲しいといわないと出ない。宿の責任ではないけれど、停電も頻繁にある。更に、あとで分かったことだが、何だか夜が騒がしい。コーヒーが飲み放題で、オーナーがいつも笑顔なのが救いだった。

夕方に担当の警察を訪問。なぜか彼の自宅を訪れた。そして一緒に空港のオフィスへ。嫌な雰囲気のまま無言の時間が続く。
彼はスタンプを持っているので、どうにでもすることができる。いかにも、賄賂を渡せと言わんばかりの雰囲気なのだ。しかし、私たちに落ち度があるわけでもなく釈然としない。
感覚では1時間ほどだったが、おそらく30分ほどだろう。2万ルピアを払って部屋を出た。とりあえずトレッキングで村にも行けるようだしホッとした。ワメナから、スラットジャランを発行したセンタニに電話で確認すれば良いだけと思われるのに、イチイチ問題が起きる。こういう体質は嫌いだ。しかし、スラットジャランに不備があると追い返されることもあるらしい。それと比べれば、親切な担当者であったのかもしれない。

●パプアって臭い?(ワメナ)

何だかアフリカのような臭いが漂っている・・・(単に汗臭いだけ)。

ワメナに到着した時から感じていた。服なのか身体なのか分からないが、とても臭いのだ。そんなこと(どんなことだ?)もあったけれど、(紙に書いただけだけれど)契約したガイドは清潔好きのようであった。毎日、違う服を着ていた。
早朝7時に起きてホテルにて朝食。まだ眠い目をこすりながらも、これから始まるトレッキングに対してドキドキワクワクな感じ。どうなるのかな〜という期待に胸を膨らませていた。ホテルで出る朝食は砂糖のたくさん入った甘ぁ〜いコーヒーと小さめのパン、そして小さい春巻きだ。どちらもおいしかったけれど量は少なめだった。

さて出発!ホテル前からベチャに乗る。ベチャとは自転車タクシーのことだ。自転車がタクシーなんて、日本では余り考えられないけれど、ワメナでは最も重要な交通手段のよう。車の10倍くらいは走っている。それよりも、歩行者の方が多いし。そう、ここワメナでは歩いている人が多い。高地と言うこともあるけれど、赤道に近いし暑い。けれども、他の南国に比べて歩いている人が圧倒的に多いのだ。左側通行で割りと整然と歩いているところも何だかいい(笑)。
ベチャは荒れた舗装の道を気持ちよく進む。時々、穴ぼこでガタンガタンと揺れながらも南方面行きのベモ乗り場には10分ほどで到着した。市場にもなっているけれど、同じような小さなお店(2畳くらい)がたくさんあるだけで、扱っているものは同じだ。ここに限らず、道端でも同じものを扱う店が並んで軒を連ねている。少し離れていた方がお客さんが増えたりしないのかな・・・。

ベモはワゴンや4WDなど様々だ。たくさんの客がすし詰めに乗り込む。
う〜ん、すがすがしい朝だというのに回りが汗臭い人ばかり!!タバコまで吸い始めるのでさらに臭い。辞めて欲しいけれど、このパプア標準には従わないと・・・などと思いながらもお尻を揺らしながらベモは進む。
雨季に山が崩れてきたとかで、道の上に大量の土砂が流れていたりとかなりの荒れ方だ。エアコンは当然効かないから暑いし、更に汗臭くなるし、揺れは凄いし、普通の4WD車(8人乗りくらい?)に子供も含めて15人以上も乗るので変な体勢になる。とにかく終点に着いた時はいろいろなものからの開放で嬉しかった。

ベモは小さな売店が1つ建つスゴクモの丘の上に止まった。他には何も人工的なものはない。大自然が広がるばかりだ。

ちなみにトレッキングの予定は3泊4日。1泊目はショコシモ。2泊目はジュアリマ。3泊目はヒトゥギの予定だ。ワメナからスゴクモまではベモ。そして、帰りもスゴクモ近くまで歩いて来てベモに乗るルートだ。

●トレッキング開始!(ワメナ)

歩き始めるぞ〜っという時に、ガイドがどこかに行ってしまった。

細い川が少しずつ削ってできた崖を、上流に歩いて行ってしまったのだ。う〜ん、どこに行くんだよ。「ちょっと説明して欲しいよな〜」と思いつつポーターと苦笑い。ポーターは耳が聞こえないので、口が聞こえないのだ。ジェスチャーでのやり取りが続く。
・・・ガイドは野外で爽快に用をたしに行ったらしい。ジェスチャーでトイレのやり取りをするのだから、何だか恥ずかしいやり取りになる。でも、言葉よりも初めからジェスチャーと割り切っているからスムーズに通じる!?

昔はベモが走っていたらしいルートを歩き続ける。今ではとても車の走れる状態ではない。
ワメナ近郊は、ちょっと見ただけで樹を切りすぎと分かるような状態で、あちこちで大きながけ崩れの跡を見ることができる。考えなし(?)に樹木を切って畑にし、木を燃やし、雨の度に土砂崩れを恐れる地形にしてしまったのだ。そして、樹木の伐採は今でも続いているようだ。裸の山にサツマイモが植えられている。そして、急斜面は大きく削れている場所が多々ある。
そんなわけで、がけ崩れの跡や、渓流が削った急な斜面を登ったり降りたりしながら進む。
渓流と書いて思ったけれど、流れる水はほとんど茶色。樹木の伐採によるものだろうと思う。湧き水以外はどこも大量の土が混じって流れている。熱帯雨林だから、乾季と言えども大量に雨も降るし、常に河が大地を削り土砂を運んでいる。そして、その水が凄い勢いで流れている。約10年前に河に落ちて、命を落とした日本人もいるとのことだった。それほどに凄い流れなのだ。

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ミニコラム

++ホテル予約++

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ミニコラム

++ワメナ行
飛行機++

不思議なことに、往路と復路で値段が違う。
また、これも珍しいが往復チケットの購入はできない。どうも、チケットの発見管理を全て手で(ノートで)行っているためのようだ。

インドネシアの田舎はなかなかやってくれつのだ。ちなみにボーディングパスも使いまわしだ。



クリマでスラットジャラン、そして賄賂。

道沿いにあるクリマという小さな村にはすぐに着いた。
小さな村とは言っても、これから行く先と比べれば大きな村だ。何と言っても売店があるようだった。

ここには軍隊と警察が駐留している。嬉しくないことに、スラットジャランの提出と共にお金も払わないとならない。ワメナ近郊でもいくつかの観光スポットでは、こういったように拝金主義(?)がはびこってしまっているのだ。軍隊や警察が金を払えと言えば、一旅行者としてはお金を払わずにはいられない。う〜ん、国家権力と武力は恐ろしい。

軍隊もラフな感じでのんびりした雰囲気。雑談をしつつ賄賂(?)を渡した。独立運動が活発であったりすれば、もっとピリピリしているはず。そう考えると少しトレッキングに安心感を与えてくれた。何せこれから歩いていく先は山の中。歩き以外に移動手段はない。電気も電話もない。何か事件に巻き込まれても連絡もできないし、逃げることすら難しいだろう。

●エナック(おいしい)! 昼食に驚き。(ショコシモ)

いくつかの村を越えながら歩く。
街と余り変わらないような家もある。そして、伝統的なホナイやロングハウスというような家もある。ホナイもロングハウスも藁葺き屋根だ。壁は木の皮などでできている。

住んでいる人々の多くは服も着ているようだ。裸でコテカ(ペニスケース)を付けているような男性は、すれ違う人々の10人に1人もいないようだ。そして腰ミノ姿で上半身裸の女性はもっと少ない。

歩き始めてから約2時間。
ショコシモに向かう斜面の下を流れるバリエム川沿いで休憩することになった。川の水はあいかわらず茶色だ。単に土を含んでいるだけで「汚い」わけではないことは分かっている。しかし、すぐ近くに透明の湧き水もあった。
ガイドとポーターは迷いもせずに茶色い川の水で料理を始めた。まずはお湯を沸かしてコーヒー。その間に野菜を切ったりして、料理の準備を進める。ガイドをはじめとして、現地の人の多くはスプーン3〜4杯の砂糖を軽く入れるようだ。この時の私たちは、そんなに砂糖は入れなかった。後半は、砂糖をどんどん入れるようになったのだけれど。

良い香りが漂ってくる。料理ができるまでにピーナツのような味のする「焼いた木の実(大きな塊をほぐして焼いている)」をつまんだ。なかなかおいしい。現地のパプア人は日常で食べているようで、ワメナの道端でもたくさん売られている。そして、こういった山間の村でも売られている。

昼食はインスタントラーメン。たくさんの野菜を混ぜて、ラーメンと言うよりは野菜スープ。そこに少しの麺が入っている。これがなかなかおいしいのだ。普通に街のレストランで食べるよりも癖がなく、野菜も豊富。そして、何よりも素直に「おいしい!」と思える。これが、その後のトレッキング中に、普段よりも贅沢な食事を楽しむことができる前触れであった。

●ショコシモの真っ黒な夜。

昼食から1時間ほどの歩きで村に到着した。

村の人口は1200人を越えると言う。私たちは学校の前の広場に腰を下ろしてのんびりしようとした。しかし、、、すぐに子供たちや村の人たちが集まってきた。インドネシア語を勉強し始めたが、さすがに会話は長く持たない。そして、インドネシア語さえも話さない村人が多い。

そんなこんな(?)で私たちは、マンディにすることにした。マンディは水浴びのことだがこの村では川でするようだ。川の水は茶色く、冷たく、そして勢いがあり速い。
石鹸とタオルだけ持って川に向かった。足を水に入れたが「冷たいっ!」と、とても長く浸かっていられない。マユと2人で気合を入れて身体を洗う。髪の毛は洗ったのだが、初めは「明日にしようか?明日にしようよ」と言い合う始末だった。
寒いながらも身体を洗い、洗濯もした。そして、なんだか普段よりももっときれいになったような爽快感と共に村の広場に戻る。広場には相変わらずの人だかりができてしまい、私たちを中心に2〜30人も集まっている。旅行者はたまに訪れるくらいで、やはり珍しいとのことだった。
しかし、ガイド曰くサツマイモを買おうとしたら旅行者と一緒だったので高いお金を請求されたとのこと。やはり、文明の波は確実に近づいている。

ガイドが夕飯を準備してくれた。白米、ジャガイモの炒め物に、コンビーフのフライ、野菜スープ。どれもとてもおいしい。しかも凄い量がある。ガイドは食べろ食べろと言うが、とても食べきれないのだ。実際には、ポーターが私たちの残り物を食べていたようだ。でも、そういうことを私たちが気にしたりしないように「食べすぎくらいの方が、明日もたくさん歩ける!食べろ!食べろ!」と言うのだ。
う〜ん、それにしてもこのガイドを選んで正解だった。やはり、ご飯は重要である。彼はコックとしてトレッキングに参加することもあるらしく、もともと料理は得意であったのだ。私たちは粗食を覚悟していたのに、毎回おいしい料理なので太ってしまうのではないかと心配するほどだった。

ろうそくの火の中で食べた晩御飯も終了。外は真っ暗だ。この村には電気もないし、他の家にはろうそくもないようだ。村は真っ暗で、既に7時頃には眠りに入っている。暗くなる前から雨も降り出し、散歩もできない。外を眺めつつ、お腹がこなれるのを待った。することもないし、寝ようと思うのだが、さすがに食後すぐに寝てしまうのはまずかいと我慢した。

真っ暗な村で、ガイドたちは別の建物にある調理場で寝ている。私たちだけがシズシズと振る雨の中に取り残されたようだ。あまりの暗さと人の気配の無さに恐怖を感じるほどだった。「電気のない生活」それを初日から少し実感できて、良いスタートだった。

●ジュアリマまでの崖沿いの道。

歩くにつれて文明から遠ざかるようだ。
道は細くなり、崖沿いを進む。間違えて足を滑らせればゲームオーバー(死亡)だろう。サツマイモを植えるために、急斜面を開墾し大量にある石を積んで柵のようにしている。

石の壁が延々と続き、このままこの地が放棄されて、数万年後に発見されたならば石器時代の生活跡と思われるだろう。沖縄の竹富島などの石垣はとてもきれいだが、ここでも意外なほどにきれいに積み重ねている。しかも、延々と長い距離を、そして、格子状に。
石垣は豚や動物が移動しないようにとの目的でもあるようだ。村が近づくと石垣が増える。道が急に石垣で封じられ、それを登って越えなければならないのだ。そのために余計に体力も消費する気がする。
村の近くの豚のいるエリアでは、道沿いの糞もとても多い。大きな豚と共に、多くの子豚が歩いていてとても微笑ましい。豚は、この辺りにすむ住民にとってとても重要な存在らしい。多くの儀式や結婚式などで豚が必要となる。マレーシアの犠牲祭や、インドネシア・スラヴェシ島のタナ・トラジャのお葬式を見てきた私にとって、豚や家畜を殺す行為の普遍的な広がりを実感できた。貴重な家畜を殺して、食べてしまうには、皆が納得できる理由が必要だったのだろうか。そして、それが、各地にお祭りやイベントの毎に「虐殺(とは大げさか?)」する文化が残ったとさえ思える。もっとも、狩猟民族の名残的な面も見て取れる。ともかくも、まったく違う離れた地で、類似点を見るのは興味深いし考えさせられる。

コテカのみを身につけて、サツマイモ畑で作業する人の姿も増えてくる。しかし、全員がそうだというわけではなく「中にはコテカの人もいる」という感じだ。コテカとはペニスケースで、以前はこの付近の人たちはコテカのみを服装としていたらしい。山の奥へ進めば今でもそういった生活をする人の多い地域に辿り着ける。
コテカ姿の人や、服を着た人。それらが普通に混じって、お互いに違和感なく同居しているのも不思議な感じがする。私たちにとってパプアを訪れたのは、そういった風景を見るのも目的の1つだった。そういった風景を見て、何かを感じられたらいいとも思っていたのだ。

●ジュアリマの大きな石。

小学校の前には大きな石がある。子供たちが2〜30人は乗れる石だ。
以前から、ずっとそこにあり村を眺めてきたのだろう。

ショコシモから2時間半ほど歩いて次の宿泊予定の村に到着した。
私たちが宿泊した「教師の家」は、その石の目の前だった。トレッキング中は「教師の家」に泊めてもらうのが一般的だ。村の人の住む伝統的な家に泊めてもらうことも可能だが、清潔度などでは落ちる。もっとも、村人の生活を間近で見るには良いかもしれない。
かといって「教師の家」に泊まっても、料理をするために借りるホナイなどで村人の生活を垣間見ることもできる。

大きな石の上に子供たちや、コテカ姿のおじさんたちがのんびり座っている。
ジュアリマに向かう途中にマユの靴の靴底が外れてしまっていた。明日以降そのままでは歩くことができない。何とか村まで辿り着いたが、針と紐が村にあったので修理を試みることになった。
私たちをはじめ、皆に靴の修理の経験などはなかった。そこに、ポーターがとても「やりたい!俺がやる!やってやる」というような光線(?)を発しながら手を伸ばしてくれたのだ。
実際にとても器用に、プロの職人のように壊れた左足の靴と、壊れかけた右足の靴を修理してくれた。縫い方もきれいで、多少時間はかかったが、これでようやく翌日以降も歩けそうな気がしてきた。ポーターにはとても感謝なのだった。しかし、彼は修理が終わった後も何事もなかったように料理を始めた(お礼を表現したのだが)。
その修理の間、村の子供たちはずっとその修理を眺めていた。とても時間がゆっくり進んでいる。そんな村なのだった。

この村のマンディ場所は、ショコシモよりも更に流れの急な冷たい水の川であった。もしかしたら、早めに雨が降り始めたためにそう感じたのかもしれない。身体は何とか洗ったのだが、髪の毛まで洗うことができなかった。ガイドやポーターも寒いからか、前日は身体をはじめとして全ての服も洗っていたのにマンディをしていなかたようだ。

ところで宿泊した「教師の家」に、巨大なムカデのような虫が出た。
私は驚いて「うおぉ〜っ」と声を出したら、後ろにいたガイドが真剣な顔で棒で叩いて殺した。どうも強い毒を持っているらしく、子供が指された場合には危ないと言っていた。
翌日にはトレッキング中に蛇に出会った。私と私の後ろの人の間に蛇が出てきたのだ。後ろを歩いていた現地人はひどく驚き、飛びのいていた。その蛇もかなり危険な毒を持っているとのことだった。実際に刺されたり、噛まれたりすることは稀なのだろう。しかし、パプアの自然は危険な要素も持っていると実感した。靴下も履かずにサンダルで歩いていたので、ちゃんと靴を履いてくれば良かったと思ったのだった(靴は持っていなかったけれど)。

翌朝に村を出発する際に、全員集合した生徒の写真を撮って欲しいと頼まれた。全員といってもたいした数ではないのだが、あれこれと騒がしく動くのは壮観だった。ちなみに、当然ながら写真をあとで送ることを約束した。住所には数字もなく、パプアのワメナの@@村の学校という程度だった。それで届くのだから簡単で良い。もっとも山の中にもちゃんと配達されるのであれば、それだけでも凄いと思うが。

ミニコラム

++トレッキング料金++

外国人を全く見かけないこともあり、旅行代理店というようなものも見なかった。
なので、料金の相場も分からない。ガイドブックも参考にしつつ、自分の納得できる料金に交渉するしかないようだ。

宿泊料金と移動代、それと食事代などはガイドと話し合えば金額はおのずと出る。その他のガイドやポーター代については自分の判断で決めるしかない。

●あちこちにある手作りの橋。(ジュアリマ)

川には橋があちこちにかかっている。

それらは全て木や蔓だけで作られている。5m以上あるような橋でも同様にお手製だ。このような橋は誰が作るのだろう。必要に駆られてとは分かるが、地元の村の橋作り職人(?)が仕事で作っているのだろうか。インドネシア政府や州政府の公共事業であったりしたらちょっと面白いと思う。
また、手作りの橋の方がよく手入れがされていた。鉄と木で作られている大きな橋は、歩く部分の板が腐っていたりなくなっていたりと川に落下する危険さえあった。

昔から伝わる作り方なのだろう。。。
延々と昔から作られているであろう。。。

そんなことを考えるとタイムスリップしたような気がする。その橋をコテカを付けた男が渡っていたりするのだ。

●ガイドの言う「歩く時間」は常に長めだ。(ジュアリマ)

初日の歩きは4〜5時間。2日目の歩きも4〜5時間だったはずだが・・・。

初めにルート設定をする際のガイドの説明と実際のトレッキング時間には、大きな差があった。ガイドとしては、短めの時間を言っておくよりも長めの時間を言っておいたほうが不都合は少ないだろう。それにしても、私たちの場合は2倍近い時間で説明されていたようだ。

年寄りと言うわけでもないのだから、そんなに余裕をとらなくても良いのに。そんな訳で、3日目以降はガイドが朝早くの出発を希望しても遅い出発をするように指定した。夕方以降になると雨が降り出すので、早めに出発し到着する大切さは分かる。それに何かあった時にも時間に余裕があったほうが良いだろう。
ただ、お昼の12時頃に目的地に到着するくらいであれば、もう少しだけ寝坊しても良いのではと思ってしまった。

もっともパプアでのトレッキングの目的は「歩くこと」ではなく「見ること」だ。なので、着いた村の生活を覗かせて貰うには、早く現地に着いてのんびりした方が良い。歩く距離などはこれくらい(1日につき3時間くらい)でちょうど良かったと思う。

●とにかく握手する村の人々。(ウゲム)

3日目はワメナ方面に向かった。村の人がワメナに向かう時に歩く道であるらしく、多くの人と同じ方向に向かう。
この地域の移動手段は「歩き」であると実感。みんな、そんなに急ぐわけでもなく日陰で休憩したり水場でおしゃべりしたりと進んでいる。

そんな際に、出会った人はお互いに握手をする。私たちも歩いていてすれ違った場合に、頻繁に握手を求められたりする。初めは不思議に思ったが、途中から当たり前のような気がしてきた。山を歩いていてすれ違いざまに挨拶をする習慣は日本にもあるが、パプアでは握手もするといった感じ。もっとも、村の中で会った場合でも握手するし、出会ったらどこででも握手を求められる。それは外国人だからというわけではなく、同様に現地人同士でも行っている。こうしてどんどん知り合いが増えていくとしたら、素晴らしい習慣だと思う(日本のように人が多くてはとてもできないが)。

握手の他に、ダニ人は旅行者が村にやってくると歓迎の歌のような挨拶をしてくれることがある。実際に歌うというわけでなく、「ワーワーアー」などと普通の声の大きさでこちらに伝えてくるのだ。インドネシア語を話さない年配に多かったようだが、独特の表現で興味深かった。

3日目の宿泊予定地ヒトゥギには、歩き始めて2時間後に着いてしまった。まだ11時だし、余りに早い。そんな訳で次の村ウゲムまで1時間ほどかけて歩いた。とても見晴らしの良い小さな村で、トレッキング最後の日をのんびり過ごすにはとても良い感じの村だった。
もっとも、村に到着した際には1本の電線がありとても驚いた。町から電気が来ているのかと思ったのだ。実際には教会に発電機が置いてあるらしく、クリスマスなど特別な時だけ、新旧の2つの教会に電気がつくとのことだった。

●どこの村の教会も何でそんなにきれいなの?(ウゲム)

村の人々の住居は、伝統的な藁葺き屋根のホナイばかりだ。壁も木などで作ってあり、現代文明を感じさせるようなものはない。

私が見た多くの教会は、ホナイとは比べられないほどに綺麗で、しっかりとした壁(しかも真っ白に塗られていたりする)と頑丈な屋根を持っていた。

村人のほとんどがキリスト教とのことだったが、なぜ教会だけがこんなにきれいなのか聞けなかった。村人自身が建てていると言うよりは、キリスト教の布教のために建てているのではとも思った。
ワメナ近郊には、ベルギー人とドイツ人の牧師がいて、各村々を回っているとのことだった。ワメナを訪れる旅行者の上位2ヶ国は、それら牧師の出身国である。純粋な旅行者だけでなく、宗教関係者もカウントに入っていて旅行者数が増えているのだろうか。

こうした教会から彼らの生活が変わっていくのだろうか。
宗教については難しくてなんとも分からないが、布教活動が進み村々が現代文明に染まっていくのは過去の歴史が繰り返されているのを見るようだ。

●物珍しい旅行者観賞!?(ウゲム)

3つの村とも、まずは子供たちが近寄って来てくれる。
当たり前だが学校が終わる時刻以降に、特に子供が増える。ただし、学校が終わる前の時間にも村には子供がいる。どうもよく分からないが、必ずしも皆が通っているというわけでもないようだ。多くの国と同じように、貧しさが教育を受ける機会を奪ってしまっているのだろうか。

集落内に学校がない場合もあり、毎日山道を1時間以上(帰りもあるので合計で2時間以上)かけて隣の集落に通っている子供たちも多い。そんな話を聞くと、彼らの持久力や体力は子供の頃からこうしてはぐくまれるのだなぁ〜と実感なのだった。インドネシアはオリンピックでもそんなに活躍している印象がないが、こういったパプアの人々が訓練された場合には凄い力を発揮したりするのかとも思う。

ウゲムには昼過ぎに着いたので、子供の姿をはじめとして人影が少なかった。それが時間が過ぎるにつれて村には子供が増え、そして山から帰ってくる大人の姿も目立ってきた。
子供たちは私たちの周りで座りアレコレと遊んでいる。お互いの耳の中を草でつついて遊んでいたりしたので、私も近くのコが気づいていないタイミングでつついてみた。当然ながらとても驚いて逃げる。
それが始まりで暗くなるまで追い掛け回したり一緒になって遊んだ。小さい子も大きい子も一緒に遊ぶのはいいなぁ〜。今の日本は違うよな〜とか感じた。子供たちとこうして、ちゃんと遊んだのはウゲムだけだった。

他の村でも遊んだりしたけれど、カメラを通してであったりしたのだ。写真を撮ったりすると珍しいらしく、凄い人垣ができる(子供も大人も)。持参したカメラがデジカメであったので、撮影後に写真を確認できるので皆が見たがったのだ。
それと、たまに「グラグラ(インドネシア語で飴のこと)」という声も聞こえたりした。たまに訪れる旅行者がお菓子をあげたりして、そういうのも楽しみになっているのだろうと実感だった。それで、第二次大戦後に日本人が「give me chocolate,,,」と言ってアメリカ人に群がっていたというのを思い出したのは飛躍のしすぎか・・・
他にも大人(特にコテカ姿でいる男性)が、稀にタバコを欲しいと言ってきたりすることがあった。もっと奥の村までトレッキングに行ったりすると、こういうこともなくなるのだろうと(あっても良いけれど)考えたりした。テレビに出るパプアと言うと、きっと凄い山奥の特別な地域を撮影しているのだろうと思う。

ミニコラム

++コテカ++

コテカとは男性が付けるペニスケースのこと。これらはワメナのお土産屋さん、もしくは村や町で人から直接買うことも可能だ。本物の良いコテカは”人から売ってもらうのが一番良い”と聞いたが、中古品はいかがなものか・・・。

コテカだけで歩く男性はたまにいる。私たちはワメナでしつこく何度も話しかけられた。(ちなみに彼らは現地語しか話せない。)
写真を撮るとお金を請求されると聞いていたので、決して写真は撮らなかった。が、タバコを1本あげた。だけれど、やっぱりお金じゃないと撮らせてくれない。コテカ人はちょっとケチな人が多いようだ。

●足跡は裸足。(ウゲム)

トレッキングしていて見かける足跡の多くが裸足だ。

村の人たちのほとんどは裸足で生活しているからだ。足跡には指の跡がくっきりと残り、坂道などでは指でしっかりとグリップしているのが観察できる。ガラスや危険物がないので、裸足が一番滑ったりすることがないのかもしれない。ただ、山の道には畳石のように、細かい石が敷き詰められていたりもする。そういった道は足の裏がかなり固いか、痛さを快感(?)に感じるくらいでないと歩けなさそうだ。

私たちのポーターも裸足であったが、ワメナの街中では裸足で歩いている人は少数派だった。靴はとても大切にされているようで、破れた後を修理してある靴も良く見た。そういうこともあって、マユの靴を修理するのもごく自然のことだったのかもしれない。

ところで、毎日のように雨が降っているので道はぬかるんでいるところが多い。しかし、現地の人たちは靴や足、そしてズボンが汚れたり濡れたりするのをそれほど気にしていないようだった。
きれいな清流などに来ると足を突っ込んで洗っているので、気にしていないというよりは、歩いている時は些事に気を紛らわせないということかもしれない。洗えばすぐに乾いてしまうということも関係あるだろう。

●意外に短く感じたワメナのトレッキング。そして最後の歩き。

残念ながらトレッキング中に村で朝日を見ることなく、最後の朝を迎えてしまった。山ではなぜか長く眠ってしまうのだ。夜は真っ暗なので、寝るしかない。しかも、早く寝るので途中で目も覚ますのだが「もう少しもう少し」とゴロゴロし続けてしまう。途中で目を覚ます時間が夜中の3時や4時であったり、まだ余裕があるとタカをくくってしまう面もあった。

4日目は最初は登りの道もあったが、ほとんどが下りの道か平坦な道だった。そのことが、ワメナに戻ることを意味しているようで寂しくもあった。
トレッキングをするにあたって、2泊3日か3泊4日か少し悩んだ。せっかくパプアまで来たので少しでも長くトレッキングをしようということにして、3泊4日を選んだのだが「どんな場所で寝るか」「どんな食事になるか」、、、いろいろな不安を持った上での決断だった。
それ以上に長いトレッキングも可能だし、遠くまで行ったほうが楽しみもあるかもしれない。ただ、私たちにはニュピ前にバリ島に行くという予定と、長いトレッキングをするとガイド代やポーター代が高く予算的に厳しいという制約があった。
歩いてみてだが、私たちには3泊4日くらいでちょうど良かったかもしれない。歩きながら「次に来ることがあったら、もっと長く遠くまで行こうね」と話したりもしたが、それは今回のトレッキングで必要だと思ったものをもっと持参しての話だ。

●ワメナ近郊トレッキングの装備。

トレッキングを終わり必要と思われるのは、毛布か寝袋。私たちは寝袋を持参していたが、乾季とはいえ毎夜に降る雨で朝方はかなり冷え込んでいた。長袖や防寒用の服も多少はあった方が良い。
洗濯は毎日できたが、毎日夕方から雨が降って翌日の朝に乾いているとは限らない。換え用の服は必須だ。ただ、そんなに多くなくても大丈夫だと思う。

寝場所は清潔とは思われず、何か引いて寝たほうが気分が良いかもしれない。私たちは大き目の私のポンチョをひいて寝た。多少は南京虫やダニ対策にもなるし、汚れにも触れずにすむ。敷くものを持っていくのは良いと思う。

村人はタバコが好きなようだ。持って行って分けてあげると喜ぶ。私たちはタバコをやめていたので、プレゼント用の1箱しかなく十分でなかった。

子供たちは雨やチョコ、お菓子は何でも好きだ。戦争後に米軍兵の回りに群がり「give me chocolate!」というような日本人の姿も想像できる。虫歯などの影響は分からないが、一緒に遊んだりした子供たちにお菓子を分けてあげるととても喜ぶ。

ボロボロの服や、寒い中で凄い薄着をしている。不要な服を持って行くだけで喜ばれる。自分の贅沢な装備を実感できる。特別なものを持っていったわけではないが、服をはじめ懐中電灯すらも村人は持っていない。

薬類。これはとても役に立つようだ。医者ではないので、特別な治療ができるわけではないが、怪我に消毒や薬を塗るくらいはできる。薬を処方するとか、危険のあることはできないが、外傷薬だけでもとても喜ばれた。
ちなみに、自分たちが医者であったらいいねと話してしまった。帰国して「医療ぷらぷら」にして、インドで勉強しようか・・・など(受験勉強のための滞在費が、日本より海外の方が安いだろうと)。

ハエが多いので気になる場合には、殺虫剤や蚊帳のようなものがあると良いかもしれない。村で座っていると、ハエの群れが襲ってくる。

●ワメナ到着。

鉄と木でできた大きな橋でバリエム川を渡ると、そこはすぐにショコシモだ。村の外れのようでホナイなどがあるわけではない。

山の村から歩いてきた多くの人たちがベモを待っているのだ。到着するとすぐに日陰で水を飲んだ。そしてホッとしたというのが正直なところ。
1日毎の歩きは大した事はなかったが、4日続いたことで身体が疲れているようだった。寝場所も硬い場所であったり、何かといつもと勝手が違うので緊張していた疲れもあっただろう。

半時間以上待って、ようやく到着したベモは少し大きめのワゴン車の座席を取っ払ったような車だった。待っている人は20人以上おり、そらに、それぞれが荷物を抱えている。果たして全員が乗れるのかと不安も抱きつつ早めに車内に場所を確保した。
かなりの混雑だったが全員乗車した。揺れる車内でこの4日間をアレコレと思った。行きと同じで、1時間ほどでワメナの南西にあるベモ乗り場に到着した。宿はもうすぐ。ベチャに乗り、ホテルに到着した。

とにかくシャワーを浴びたかったのと、ミネラルウォーターをたくさん飲みたかった。
山の水を飲んでも問題ないと思う。しかし、ガイドが「なるべく沸騰させた水を飲んで下さい」と言っていたので素直に従ったのだ。沸騰させた水は、鍋の墨の味がして、どうも刺激があるというかおいしくなかった。ワメナではミネラルウォーターは1万ルピア(約115円)もして、普通の町の3倍ほどの値段もする。それでも気にせずに2人でガブガブ飲んだ。

宿の水はあいかわらず茶色いし、冷たい。山の村でのシャワーと大して変わらなかったけれどともかくホッとした。

そして、冷えたコーラを飲んでようやく「元居た場所」に帰ってきたと実感なのだった。

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ミニコラム

++ワメナ物価++

ワメナはとっても物価が高い。パプア全体が割高だけれど、パプアが一番といっても良い。水1.5Lは1万ルピア(120円くらい)。コーラ350Lは5000ルピア。外食も余裕で1万を超える。(ただ見た目が「まずそう」なので一度も食べていないが・・・。)
逆に安いのが野菜。マーケットなどで買えばバリ島などに比べれば安い。

必要なものはセンタニなどで買い揃えておくことをお勧め。ちなみに現地人は「鍋」を運んでた(笑)。

ワメナは都会だった。



ワメナにはお店がある。バザールがある。銀行もある。ホテルもある。

トレッキングに行く前は「田舎で何もないなぁ〜」と思っていたけれど、感覚というのはいい加減だ。

ベチャ(輪タク)が走っていることで便利な道があることを実感できるし、飛行機の離着陸の騒音で豊富な物資を実感できる。今までと違った感じ方ができるのもトレッキングのおかげだ。そういった感覚の変化は長くは続かないけれどとても面白い。それも旅の醍醐味の1つだし、感覚の変化は幾分は身体にしみついて残っていくのだろう。そうやって少しずつでも自分が何か変わっていけるかと想像できると、それだけで楽しい。

物騒で迷惑な事件?(ワメナ)

「どんどんどん!」
真夜中に何者かが部屋のドアを叩く。

怪しいと思った私たちはもちろん無視。
本人は何かに追われているのか部屋から部屋へ急かされてたようにドアをノックをしている。
声を潜め聞いていると、何やら警察沙汰のようだ。
おそらく何者かがケンカかお酒を飲んで問題を起こし、警察に追われ、どこかに逃げた。それでこうやってドアをノックしていたのは追っている警察のようだった。
ふぅ。全く治安が悪い。

宿は外国人は私たちだけで、あとは現地出稼ぎ人だけ。安宿なのでセキュリティもないの同然なので何かあったら逃げ場はない。だけれど結局何もなくて良かった〜!

ポーターのデラに感謝。(ワメナ)

バリエム渓谷のトレッキングからワメナにあるホテルに戻り、まゆの靴を修理してくれたことをデラにちゃんと表現したかった。何せデラが靴を直してくれたおかげで、マユは問題なくトレッキングを続けることができたのだ。もし、靴がなかったら最後の日の岩や石の道は厳しかったに違いない。

もちろん帰ホテル後にチップは渡してあったが、ポーターとしての彼に対するチップではなく、靴を修理してくれた彼に対してもっと明確に感謝を表現したかったのだ。

何かを期待して修理してくれたのではなく、純粋に善意と、そして、そういった作業が好きなようで2時間ほども集中して作業し、一気に綺麗に修理してくれたのはとてもありがたかった。修理をしてくれたからといって、他の作業が減るわけではない。靴の修理後に、普段より慌てて食事の準備などをしてくれた。
靴を直し終わると、もう靴のことは過去のことであったように何もそれについて触れない。感謝を表現してもそれについては反応がない。それよりも一服のタバコの時に、ちょっとした話を身振りでするときの方がデラは嬉しそうだった。

「どうしようか・・・。何をあげたらいいかな。」
「う〜ん、実際に役にたつものがいいよね。物価が異様に高いから電化製品とか・・・?」
ホテルの外でのんびりとタバコを吸うデラを眺めながら相談した。言葉を話せないデラだが、回りとはとても仲良くやっている。身振りなどで多くのことは伝わるのだろう。当たり前のことのようだが、同じ村の出身者とは特に仲が良いようで助け合っているように見える。ただし、フト1人になってホテルの外で佇んでいたりもする。デラは1人で何かをすることや、何かを観察することがとても好きなようだった。

「懐中電灯あげようか。持ってなかったし。」
「これからの仕事にも使えそうだし、いいね!」
私たちは、アウトドア用のヘッドランプの他に懐中電灯を持っていた。トレッキングも終わり、懐中電灯はしばらくは不要になる。そんなわけで、使い終わった懐中電灯といくつかの乾電池をあげることにした。しかし、それだけでは何だかマユの感謝を表すにはたりないような気がした。

(う〜ん、旅行中だから無駄なものがないんだよね。)
「彼さ、ベニーの時計を羨ましそうにしてたよね。」
「うん、借りてそのままつけたりもしてた!タカの時計あげちゃおうか!?」
バンコクでマユがコンタクトレンズを買った際に、腕時計がサービスで付いてきた。時計を持っていなかった私が、その腕時計を貰ったのだが、実際にはほとんど使っていなかった。日本で仕事をしていた時ですら、腕時計をしていなかったので、旅先で毎日腕時計を使うはずもなかったのだ。

部屋にデラを呼んできて、懐中電灯と腕時計を渡した。
デラは突然のことに驚きつつも、とても嬉しかったようで身振りでそれを表現してくれた。
ワメナではとても高価ということもあり、腕時計を自分の手にはめると嬉しそうに何回もじっくりと眺めた。目も輝いて、私たちに素直にアリガトウと伝えたがっているのが分かる。子供のような目で、素直に直接的に表現するデラの姿はそれまでに見ていなかった。とても親切だし、手間も惜しまない。そんな良さは多く見えていたが、そんな風に感情を外に溢れ出させるような姿は見ていなかった。耳が聞こえないこともあり、普段から何か感情を抑制し、静かな中で自分の殻に入っているようにも見えていたのだ。

そんな姿を見て、自分たちがそんなには使わないけれど、デラにとって役に立ちそうな物を全部デラにあげてしまおうと思った。

最後にデラが、常に肌身離さずつけていたネックレスを私たちにくれた。「他にあげるものがないけれど、ずっとつけていたこれをあげたい。」と語ってくれたようで私たちの心も温かくなった。

唯一のオアシス。

パプアは水がとても少ない。
宿の水道(井戸水)は、普段出ない。宿のスタッフに「水を下さい」というと元栓をひねってくれるという始末だ。今は乾季だが、雨季はバケツをひっくり返したような雨が降るらしい。だが、水不足の悩みは解消されないようだ。

町の中にある「オアシス」がみんなの助けになっているようだ。
「オアシス」とは、ある水道管に穴が開き、そこから勢いよく水が飛び出している場所だ。この辺り特有の薄茶の色よりも少し透明できれいだ。私たちは沸騰させた水しか飲まなかったが、地元の人の水飲み場として、足など身体を洗う場所として賑わっている。常に人がいて、溜まり場になっていた。

●パプアからバリへの移動。まるで国境を越えるよう??

ワメナからセンタニ(ジャヤ・プラ)行きの飛行機を待っていた。

私たちはその日、空港に早く着いていた。待つこと数分。早くもゲートが開いた。私たちも飛行場に歩き始めた現地人に紛れて外に出てみた。(普通はバスで移動するものだが、ごく小さい空港なので飛行機の入口まで直接自分の足で歩く。)出発時間まで1時間くらい早いのでどうかと思ったが、係員に「ジャヤ・プラ?」と聞くとそうだと言う。飛行機に乗り、チケットを見せても何も言われない。1時間も早く搭乗できるのか、、と思っていたら何とすぐに離陸してしまった。
何やら1つ前の便が遅れていて、それに乗れてしまったようだ。いい加減なものだ。お金さえ払えば何も問題はないようだ。自由席だし。

早くジャヤ・プラに着いた私たち。
9時だった。明後日にデンパサール(バリ島)に行く予定だった。飛行機は今日と明後日の便がある。今日は本当なら間に合うはずなかったが、早く着いたのでデンパサール行きはまだ出発していない。あと30分ある。半分期待してガルーダ・インドネシアの窓口で聞いてみると、今日でもOKだと言う。しかも明後日は満席。明後日より少し値段が高かったが、急遽それで行くことにした。窓口のお姉さんも早口で説明してくれた。
あっという間に話が進んだ。今日、バリに行けるとは思ってもいなかったので意外だ。

ティミカという場所が経由地点だ。ティミカからはワメナやセンタニには滅多にお目にかからなかった欧米人がたくさん乗り込んできた。不思議に思ったがすぐに謎は解けた。石油が豊富な地域らしく、外資系の会社がたくさんあるらしい。インドネシア人も裕福な人が多く、服装もきれいだ。

機内で2人は大喜び。
パプアという不便な場所に1週間いたこともあり、清潔でモノが揃っている機内に妙に喜んでしまった。都度使い捨ての枕カバー、おいしい機内食、トイレット・ペーパーが置かれているトイレ。(ごく当たり前だけどパプアではありえなかった。お互い2人してポケットの中にも頂いてきていたくらい。)、日本語まで話せるスチュワーデス。さすがに国内最大の航空会社だけある。スバラシイ!!

飛行機の終点はジャカルタ。けれどもデンパサールで降りる人々が多数だった。
もうここはパプアじゃない。決してパプアが嫌なわけではないが、"便利な街"に感動してしまう私たちであった。バリとパプアは同じインドネシアだけれど、まるで違う国のよう。これはこれで2度おいしく良いかもしれない。

ミニコラム

++ベチャ++

人力車(ベチャ)の料金は街の中なら1000〜2000RP。1km以上は3000RP〜。
値段交渉の際には、値段が1人分なのか2人分なのか確認した方が良い。

最後に高いお金を請求される時もあるが、無視して歩み去れば大丈夫。基本的に街中なら安全。

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素朴でキュートな子供たち。

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