世界ぷらぷらロゴトップ

チベットについて】

チベットの都「ラサ」とは、チベット語で「神の土地(ラ=神、サ=土地)」といった意味だ。

7世紀、チベット国王ソンチェン・ガンポが、チベット王国(吐番国)の都をヤルルン渓谷からラサに移した。この時代にポタラ宮の原型となったとされる王宮が築かれ、ジョカンが建立されたとされる。

その後、ヤルルン王朝が滅びると、ラサは1地方となったが、17世紀にダライ・ラマ政権が確立し、再び都として栄えることとなった。ダライ・ラマ5世(※)はポタラ宮を築き、ラサは史上最高の栄華を誇った。


※ロサン・ギャンツォ(1617-1682) 通称ギャワ・ンガバ(偉大な5世)。1642年、モンゴルのグシ・ハンの後ろ盾によりチベット全土の元首となり、「ダライ・ラマ政権」が誕生した。栄華を誇ったチベット文化は、ポタラ宮の造営に結実した(@旅行人)。

中国のチベット侵略(1949-1950)により、チベットは独立を失って中華人民共和国の1部となった。チベット侵略と文化大革命の際には、多くのゴンパ、仏像などを始めとして文化的遺産が破壊された。今では多くが再建されるなど修復も進んでいるが、破壊の傷跡は決して隠すことは出来ない。
1959年にダライ・ラマ14世がインドへ亡命して以来、ラサは中国の地方都市として中国風の発展を遂げ、チベットの独自性を失いつつあるように見える。都市部ではチベット民族よりも、漢民族の方が多く見られ中国のチベット一体化政策が進んでいることが分かる


※街のあちこちで見かける「慶祝西蔵自治区成立40周年!」などの横断幕が白々しくうるさい。
※チベットと同様に、現在のウイグル自治区もかつての東トルクメニスタンであり、中国により侵略を受けている。

チベットには、世界遺産ともなっているポタラ宮をはじめ、仏教やヒンドゥー教、ボン境などの聖地となっているカイラス山(カン・リンポチェ)を始めとした豊かな自然、数多くの遺跡が残されている。カイラス山のある西チベット(ンガリ地区)は交通が不便なこともあり訪れるのも大変だが、それなりに報われることも多い。


【冬期の準備】
・外国人旅行証(ツアーでのチベット入境、または、アリで取得可能。)
・防寒具(西チベットではマイナス15℃程度にまで下がる。)
 寝袋、手袋、帽子、羊毛のスパッツなど重ね着できるズボン、厚いジャンバー(2枚あっても良い) 必須。
 
【マユの場合】左写真のダッフルコート。(成都のデパートで70元で購入。ダッフルにしては薄いけど、サイズがメンズで大きいので下に重ね着が可能。) 右写真のアーミージャンバー。(羊毛なので温かい。タシュクルガンで40元。) マフラー、ニット帽、羊毛スパッツ、毛糸の厚手の靴下など(カシュガルで購入)。

・お金(西チベットではとにかく物価が高い。外国人料金も横行。)
 宿 15〜40元、食事 炒飯&面 10元程度、
 移動費はとにかく高い (bus アリ→プラン280,アリ→タルチェン230,アリ→ツァダ260,アリ→ラサ800,アリ→アーバン400(寝台), 車チャーター アリ→シガチェ1800(1台) 言い値)
・かなりのやる気(冬期は車の往来が少なく、タルチェン−サガ間のヒッチは難しい)。





”チベット問題における中国への提言”

1950年代に中国共産党がチベットに侵攻して以来続いている惨劇が、今も繰り返されている。
中国はダライ・ラマに支援された分裂主義者の暴動に対する平和的解決という名目でチベット人のデモ隊を武力で

鎮圧をし、多くの人を殺害している。
その弾圧行為に反対した各国政府には不当な内政干渉だと抗弁し、人権保護を訴える国際人権保護団体アムネ
スティー等の査察の受け入れの要求には、査察団の安全を保障できないという、使い古された論法で拒否し続けている。

政権の安定をアピールしたい中国政府は事件が国内外に知られてしまうことを恐れ、やはり安全を守るためという 名目で各国のジャーナリストを国外に締め出し、密室になったチベットで蛮行を続けている。
この処置に対し、中国国内においても若い世代や一部知識人の間から、デモの鎮圧が平和的に進められているならば世界からの目を塞ぐ必要はないはずだと言う抗議の声があがっているが政府は取り合わず、一部反逆者を除いた多数のチベット人は中国に対し愛国的だと発表し、各国の失笑を買っている。
しかし、このような自国政府に対する批判は未だ中国国民のごく一部に限られており、大多数の国民は政府の掲げるプロパガンダを盲目的に信じている。
それは、新聞、ラジオ、テレビなどのニュースはもとより、インターネットの情報までに及ぶ厳しい政府の検閲が一定以上の効果をあげているからである。
この点に関して言えば、13億人の市場という利益に目がくらみ、本来自由であるはずのインターネットの情報に政府の検閲を許した大手プロバイダー、Yahoo!やGoogleが政府の情報操作によって国民の目を欺くのに協力したと言っていいだろう。
今、世界の目は中国の動向に厳しい目を注いでおり、一方的に自国の主張を唱える中国国民に対して各国から批判が相次いでいる。

しかし、国外はおろか自由に国内の他の地域に行くこともできず、そのうえ偏りのない情報さえ得ることのできないという彼らの置かれた位置というものも充分考慮されるべきである。
もちろん国民性というものはあるが、彼らの持つ国際感覚というのは政府によって捏造されたものであるからである。
そういったあらゆる政治的論点を踏まえた上でも、平和的デモ隊を武力で鎮圧する中国政府の治世手段は国民によって批判されることを強く求める。
なぜなら、思想の自由、言論の自由、信仰の自由というものは、当然人間が持つべき不可侵な権利であり、それに対する不当な暴力というのは政治的イデオロギーを抜きに嫌悪されるべきであるからだ。
例え盲目的な愛国教育を受けていようとも、無抵抗なものに対する暴力には良心の呵責を感じ、それを強要する政府に不信感を抱くべきである。

まず初めに、中国国民は知ることを学ばなければいけない。

今、現実に起こっている事を。

そして、捕らわれ、殺され、奪われた人達の痛みを。

その人間本来の善意から生まれた全ての行動が国際社会や人権団体によって支えられようになった時、遥か高い山の上に広がる国にも平和が訪れるだろう。




チベット(西蔵)への道!その1。(イエチョン)

イエチョンの東6km程のところにT字路がある。T字路はアリに向かう新蔵公路の基点で零公里とも呼ばれているらしい。そして、そのT字路の南にあるのが、アーバンの町だ。

西チベットのアリに向かうバスやトラックの多くは、T字路からアーバンの辺りを基点にしている。チベットへの入域許可証を持たない外国人は、アリ行きのバスに乗ることはもちろん、人民解放軍の基地の町であるアーバンへ入ることも正式には禁じられている。

9月上旬にあった西蔵自治区成立40周年記念式典のために、急に8月からチベット全域への入域が難しくなったと聞いていた。しかし、無事に式典も終わり、ラサ行きの飛行機に外国人も乗れるようになった。バスやヒッチなども、最近は無事にチベットまで行けているらしい。
確かな話ではないけれど、私たちは正式な許可を得ずにアリに向かうことにした。

成都からラサへ飛行機で行く場合は、許可証込みで2,000元(約30,000円)弱である。ゴルムドから陸路でラサに向かう場合は、許可証込みでさらに高くなるらしい。カシュガルから陸路でアリまで向かう場合も、許可証込みで飛行機よりもずっと高くなる。
正式な入域の値段の高さのためにか、旅行者の多くはゴルムドからラサへ、一部の旅行者はカシュガルからアリに許可証無しで向かうのだ。

私たちはともかくバスを探そうと、イエチョン近郊を走る路線バス(No2)でアーバンに向かった(2元)。
(う〜ん、バス停なんてないなぁ〜。)
地元の人にアリに行きたいと言うと、南北に走る道の両側に続く人民解放軍敷地を少し越えた辺りの西側を指差された。行って見るとトラックがたくさん停まっていた。
「アリに行きたいのですが。(以下、筆談)」
トラックの運転手に聞いてみると、気さくな感じのとても親切なおじさんが上半身を乗り出してきた。
「オレは今日アリから戻ってきたんだよ・・・。」

なんだかヒッチのつもりではなかったのに、明日以降に乗らないかという雰囲気になっている。私たちはバスに乗りたいので、その旨を伝えると敷地のさらに奥に連れて行ってくれた。
そこにはバス(寝台ではない)が停まっており、明日(10/18)14:00にアリに出発だという。奥から人が来たので聞いてみた。
「あのバスで、アリまでいくらですか?」
「800元(約12,000円)。」
ぶったまげた。

普通のバスで800元とは!高すぎる!
交渉に入る気も起こらずに諦めた。トラックの運転手は、バスの関係者とかではないようで私たちがすぐに諦めたのも全く気にしていなかった。
「寝台バスはありませんか?」
「大通りの反対側にチケット売り場があるよ。」
おおぉ〜、なんだ。近くを歩いたのに気がつかなかった。私たちは急ぎ足で向かう。でも、周囲には軍人たちも歩いているので、目立たないようにすぐにゆっくり足になった。

「寝台バスは、明後日10/19 20:00に出発だよ。」
「明後日?」
私たちは10,20,30日発のバスがあるものと思っていたが、それだけではないようだった。そのことだけ確認すると、その場所を後にした。
あれこれして、他にもバスはあるようで、アリ行きのバスは割と連日に出ていることが分かってきた。

翌日に、寝台バスの値段の交渉に向かう。
「上段は750元(約11,250円)、下段は800元(約12,000円)。」
この値段が最近の相場なのだろうか。普通のバスの言い値が、800元だったことを考えれば寝台バスなので、それよりは"良い値段"と言えるが・・・。
「上段で500元(約7,500円)。」
「その値段では無理だ。」
かなり強くそう答えてきた。去年はその値段で行けたとネットで見ていたのだが、それは無理なようだった。ロンリープラネットを見ると、トラックのヒッチハイクでも500元ほど取られたりもするらしい。

しばらく交渉したけれど、値段はそれほど下がらなかった。もっとねばって条件を落としたら(バスの後ろの方とか)、安くなったかもしれない。
私の得た条件は、下記の通り。
上段650元(約9,750円)
下段700元(約10,500円)
他に外国人旅行者を連れて行ったら、さらに安くするという話もあったが・・・。

※バスは運転の関係からか、前方よりも後方が大きく揺れる。

※現金の場合には10/17現在で 1元=約14.2円 だが、私たちはカードを利用して現金を得ているので 1元=約14.6円 もしくはそれ以上かかっている。多分、中国銀行の手数料を入れると1元=約15.0円くらいだと思っている(まだ未確認)。

私は、お金が多少余計にかかってもヒッチや座席バスではなく、寝台バスで行きたいと思う。
トラックだと少なくとも4日かかるらしいが、バスだと3日で行けるらしい。しかも、道中で横になれるかどうかの違いは大きい。5,500m以上とも言われる峠を複数越えるので、なるべく身体に負担がかからないようにしたい。タシュクルガン(3,600m by "lonely planet")で多少は高地に慣れてきたとは言え、心配性の私には高地に対する不安は残っている。

そんなわけで私たちは、寝台バスの前方下段で行くことに決めた。
他の旅行者の多くはヒッチなのか、バスでもっと安いのか多少は気になるし、高いけれども仕方がない・・・。

※当日に交渉すると、もっと安くなるということが後日分かった。

●チベット(西蔵)への道!その2。(イエチョン−アリ)

出発の時間である20時になっても、バスは一向に出発する気配がない。
意外に綺麗なバスだったので安心していたのだが、何事も思うように進まないのはこれからの長旅の辛さを暗示するようだ。

(まだ何か修理してるなぁ〜。)
まだ明るいうちから修理しているけれど、真っ暗になった今でも直っていない。走り出してからではなく、走る前に直しておいて貰った方がいいに決まっている。仕方がないので全ての乗客は、多少イライラしながら待つ。
ちなみに後で分かったのだが、故障していたのはエアコンだったようだ。走行中ほとんどずっとエアコンは効いていなかった。次のバスで来た旅行者もエアコンが効いていなかったと言っていたので、2台ともエアコンが故障しているようだ。

待合室の雰囲気だが、特にピリピリしたものはない。外国人は乗ってはいけないとか、特にそんな雰囲気さえ感じられない。やはり時期にもよるのだろうが「上に政策があれば、下に対策があり。」といったような国なのだろう。

夜の24時、ついにバスに乗り込む!!
(なぁ〜んだ。お客ってこれしかいないの?)
待っている人の数が少なかったので、そうかとも思っていたのだが、他にもお客がいたりするのかと勝手に想像してしまっていた。
寝台バスは普通のもので、かなり身長の低い中国人用だけれどとりあえず無事に乗り込んで進む。

夜中の4時過頃、なぜかバスが山間の道端で止まった・・・。
(なんだろう?)
中国人乗客の数人がコソコソと扉から出て行く。
(こんなところが目的地だったのかなぁ〜。)
ちょっと不思議に思ったが、しばらくバスは泊まっていたあとに普通に動き出したので、そのことはすぐに忘れた。

夜中の4時半頃、バスは公安(武警?)のチェックポイントに到着した。チェックポイントと言っても、新蔵公路だけの特別のものではない。
カラコルムハイウェイなどにもあるもので、緊張感もなくただパスポートを提示して終わりだ。こうやって、普段は緊張感もさほどないけれど、西蔵自治区成立40周年などというような時には、急にこのチェックポイントが大きな意味を持つのだろう。

チェックポイントを通り過ぎた5時頃、なぜか再びバスが山間の道端で止まった・・・。
(なんだろう・・・?)
さきほどチェックポイントの前でバスを降りて行った中国人乗客たちがコソコソと扉から入ってきた。
う〜む、無許可外国人の私たちもイマイチだが、中国人ですらこんなものだとは。ちなみにこの事実から考えると、チェックポイントは外国人に対しては甘いが中国人に対しては多少厳しいのかもしれない。

こんな感じで無事にチェックポイントは通過し、バスはさらにアリを目指すのだった。

●チベット(西蔵)への道!その3。(イエチョン-アリ)

バスが故障して、ずっと修理している。
まだ暗いうちから修理をしているが、一向に治る気配はないようだ。もう、出発前から修理をし続けなので、バスは予定より遅れているのかもしれない。

バスはお昼頃に食堂などもある峠に到着。お腹の減った乗客は、我先にと外に出て行く。この段階ではまだまだ皆元気で、私も食欲十分だった。

2回目の食事休憩は夕方。乾燥している空気も、かなり寒い。
既に標高も高く、若い中国人女性が意識を失って倒れるなど緊迫感も漂っている。
私たちは持参したカップラーメンを食べ、空腹をしのいだ。このレストランで売っているカップラーメンは、1コ10元。おかずなどは1品20元〜と、仕方がないけれどなかなかな物価の高い場所なのであった。そんなわけで、バスの運転手やこれからの仕事に向かっている軍人たち以外はちゃんとしたものは食べていなかったようだ。

出発したバスは、どんどん標高を上げていく。空気が薄くなっていくのが分かる。夜中の1〜2時頃はとても空気が薄く、頭は痛いしクラクラでとても話したり動いたり出来る状態ではない。
エアコンも効いていないし、私の足元の窓は(鍵が壊れていて、すぐに数cm開いてしまう)しっかり閉めることができない。
そんなわけで、氷点下の風が入り込んでくるのだが、窓が開くたびに手を伸ばしていた私も、わざわざ窓を閉める気を失ってしまった。素直に現実を受け入れたというより、元気が足りなかったのだ。
後ろの席にいた同乗の日本人、岩崎さんの席の横の窓は壊れている。出発前にダンボールを代わりに貼り付けていたが、移動中は寒いだろうに・・・。

まわりもほとんど静かになっているけれど、慣れているらしい女性2人と軍人2人は雑談している。とても羨ましい。私にもそんな余裕があったらいいのに・・・。

とてぇ〜も長い夜を越え、周囲が明るんできた。
こんなに長い夜は久しぶりだ。雪の積もる砂漠地帯をバスが突き進む。そして、遠くに建物が見えてきたと思ったら、それがアリだった。第1印象のアリは小さな田舎町。周囲を草木のない山々に囲まれ、パッとしない乾燥した小さな町という感じだ。

バスを降りて宿を探すが、本に載っているような場所はどこも高い。
私たちはバスを降りたすぐの場所にあった「君縁招待所」に、1人20元で宿泊することができた。
シングルでも、ダブルでも、3人部屋でも1人20元。この宿の値段は、何だか面白い。

up↑

ミニコラム
++ホテル予約++

割引価格
中国のホテル予約ならこちら!!



++安宿++

アリ行きのバスが出発するお店の2階は、個室が2人で50元とのこと。
シャワーはないようだが、近所にシャワー屋さんがある(早くもチベット状態!?)。













●高山病への道!その1。体調不良。(アリ)

高山病は恐ろしい病気である。
恥ずかしながら(?)も高山病を体験し、数日間の入院をした。何かの役にたつこともあるかもしれないので、その経験を書いておこうと思う。

入院して様子を見ていると、まさに千客万来の高山病患者が医院を訪れる。気持ちでカバーできる病気でもないし、軽い気持ちでだけなく「万が一」ということは想定して臨んだ方がいい。

私自身の反省点「到着がすぐに昼寝してしまった」
→起床時の体調は、アリ到着時よりも随分悪かった。

多少は良かった点「すぐに病院に行った」
→肺水腫の疑いを感じてすぐに病院に行ったおかげか、重態にはならなかった。

ところで、自覚症状のない者でも、高地に上がってきたばかりの人たちは発熱していることが多いようだ。
身体の疲れや異常を数値で感じると、急に体調が悪いような気がしてしまう人も多いかもしれない。が、無理をしないようにとの戒めのためにも、体温計を持っているなら計ってみるのもいいかもしれない。
人によって症状も多少違うようで、読み物だけで判断するのではなく、体調が悪かったら素直に病院に行った方が良い。西蔵地区では、高山病について熟知している医者が多く、すぐに対応してくれる。多くの場合には、酸素吸入やブドウ糖点滴といった処置で済むようだ。

ちなみに、言葉の問題は、漢字で書けばほぼ通じるので余り問題にはならなかった。多少の慣れは必要だが。

●高山病への道!その2。西蔵阿里地区人民医院。(アリ)

アリに到着し、昼寝をしてしまってから身体はずっとだるいままだった。水を飲んだり代謝させた方が良いということは分かるけれど、水分以外に対する食欲はほとんどなかった。風邪気味のように、発熱と頭痛が続き、どうも身体が思うように動かない状態が続いた。
初日の夜に肺の状態が悪くなった(軽い肺水腫と思った)ようで、コポコポという感じの音が聞こえてきた。そこで24時間の病院があったら行こうと思い、タクシーの乗り込んだ。週末だったこともあってか、その晩は簡単な薬だけを受け取りホテルに戻った。病院には翌朝向かったのだった。

西蔵阿里地区人民医院は、とても大きな病院のようで、若い医者に聞いたところ100人以上の医者が常駐しているそうだ。
この辺境の地に、敢えてやって来たいような医者は少ないだろう。医者の出身地はバラバラで、中国全土から集まってきているようだった。アリの町は、お店がある地域だけで考えればとても小さい。都会からやってきた若い医者などには、閉塞感ばかりのある、気晴らしの"全く無い"環境だろう。

病院の敷地はとても広い。

中央にはただの空き地が広がり、風通しが良すぎてとても寒い。また、その空き地から、町の周囲にある荒廃とした山々まで見渡せてしまう。そんなわけで、入院中でまだ町を歩いていない私でさえ"アリの町は狭そうだなぁ〜"と思ってしまった。

その空き地の周囲をいろいろな建物が囲む。
私がいた入院施設は敷地の北側にあり、外見はかなり古い。中に入るとペンキも塗りなおされ、印象は悪くないが、初めはちょっと不安な気持ちにさせられた。
敷地の南側には新しい建物が建ち、検査など各種実際の業務が行われている建物がある。建物は5階建てで、部屋もたくさんある。けれど、どうも"新しい廃墟"といった感じで、病院らしさはおろか生活感にもかける。

他にも作り途中の建物や、廃墟になってしまったような建物があり、病院というよりは少し不思議な空間だ。
敷地には、公安の車や、献血車、タクシーなどが頻繁に訪れる。お見舞いだろうが、チベット風の衣装を着た人も多く、鈴の音を鳴らしている。そして、頭に赤い糸を撒き付けている人も多く、少しだけ"チベットに来たんだなぁ〜"と実感できる。どうも病院内のほうが、アリの町中よりもチベット臭さが濃いようだった。

「押金(デポジット)1,000元。」
急にそんな大金を言われて、私はいったいいくらかかるかと不安になった。
外国人料金などがありとても高かったりすると、ドルキャッシュ以外は両替が出来ないこのアリではお金を融通する手段が少ないのだ。

医療費の過多については、旅行保険に入ってもいるため、全く心配はしていなかった。そもそも海外旅行保険に入っているのは、普通の病気というよりは、こういった特別な病気を考えてのことの方が大きい。それに、辺鄙な場所で体調不良になった場合にも、保険があればちゃんとした病院のある"町まで"運んでくれるという安心感がある。保険を博打に例える人もいるかもしれないけれど、まぁそんなモノかもしれない。

ともかくも、お金さえ払えばあとはスムーズにことが運んだ。
血圧と体温を測ると病室に連れられていき、すぐに点滴。ブドウ糖を中心としたもので、その日に6〜7本ほど打たれた。さらに、袋に詰めた酸素を鼻の穴につながれた。ただし、この酸素は多くの人がイメージするよな大げさなものではなく、袋を押すと酸素が出てくるという極めて原始的な酸素補給だった。

後日、私よりもずっと体調の悪いスペイン人が病院を訪れた際には、デポジット2,000元を取られていた。よって、医者も病状を判断してデポジットを要求しているようだ。その際には、ボンベから直接に鼻まで酸素をつないでいたので、高山病に対する処置も症状別といったところだ。

2日間はベッドで点滴をし、トイレに行く以外は安静にして過ごした。
アレコレとマユに面倒を見てもらう入院生活の始まりだった。

●高山病への道!その3。院内感染とか。(アリ)

人民医院では、院内感染などに注意は向けられていない。

注射針は、その辺に"ポイッ"と捨てられたりもしている。中国人気質だろう、患者も痰や唾を廊下に平気で吐いている。水道もない(これはやむを得ないか)し、どうも清潔感が感じられない。

ベッドのシーツなども、入院患者毎に交換するのではなく"汚れたな"と感じたら洗うとか、その程度のものようだった。

日本の病院は"人権がどうとかとか"、ちゃんと調べているのか知らないが、以前にタイで友人が入院した際には、まずAIDSチェックや肝炎チェックなどをされていた。他の国でも、そういったチェックが入院に際して行われることは珍しくもないだろう。

こんな程度なので、自分で気をつけることは極めて重要なようだ。

●高山病への道!その4。費用とか。(アリ)

5泊6日の入院で、1,244元ナリ。
ベッド代、薬代(退院後の分も含む)、検査代など全てを含んでいる金額だ。

これが安いかどうか、中国の物価から判断することはできないが、日本人にとってはとても"良い値段"だと思う。
各種の薬代や作業料金については、医院内に張り紙がしてあった。外国人についても、特に料金差があるようではなく、通常の請求金額のようだった。

ちなみに、その料金表によると・・・
 点滴1本 作業料2元
 点滴1本 ブドウ糖8元
薬類はもう少し高いし、レントゲンは1回40元するが、どれも"高い!"というほどのものはないようだ。

例えば、町中で「解熱鎮痛剤」を買っても、日本に比べるとずぅ〜と安い。そういった薬価の差もとても大きいようだ。日本の薬は副作用が少ないとか、いろいろあるのだろうけれど。

ところで、英語を話す医者は"いない"。片言なら可能だが、会話にはならない。英語で意思の疎通をする場合には、文字にするとグッと理解度が増す。
また、公安の外国人管理課の人たちは、こういった病気の外国人についても症状を認識しておくことが業務のようだ。症状の重い外国人患者がいる場合には、頻繁に様子を見に来る。
ある程度は英語も話すので、彼らのお世話になれば中国語なしでもなんとかなるだろう(彼らは迷惑だと思っているのだろうが)。

上にも書いた高山病の重いスペイン人については、公安はスペイン大使館に連絡を取ると言っていた。症状だけではなく、ワガママで歩けもしないのに"退院する"と暴れたりしたのも原因のようだ。
※スペイン大使館から、家族にも連絡が取れた。入院費用の請求もスペイン大使館にすることになった。

●高山病への道!その5。医者のファッション。(アリ)

医者の服装が面白い。
白衣の医者も多いけれど、革ジャンを着ていたり、サングラスをしていたり、ブーツ姿の医者もいる。帽子も思い思いで、西部劇に出てくるような帽子を被っている医者もいる。

茶髪とかは普通だし、何だか自由な雰囲気だ。場所が場所だけに、遊び心を持っていく場所がそういう方面に限られてしまうのだろうか。

up↑

++寒さ対策++

チベット地方によく売られているのが、「湯たんぽ」。布団を温めてから寝ると極楽。私たちはそれの代用としてジュースのペットボトルを使っていた。熱湯でゆがみが生じることもあるが、ほぼ湯たんぽ同然に使えるのでgood!
さらに靴下をカバーとして使うと冷えにくい。また、これは水筒代わりにもなるので重宝した!

ベリー・ジョルディン??(アリ)

何度か話に挙げているが、1日だけタカと同室となったスペイン人、ジョルディンについて書かないわけにはいかない・・・。

タシュクルガンからカシュガルまで一緒だったノリコさんと再会したのは、病院でだった。私はタカの看病、ノリコさんはイエチョンからアリ行きのバスで一緒だったスペイン人男性の看病が理由だった。再会は嬉しいけど、病院で会うとは・・・。複雑だ。

ジョルディンはタカのようにすぐに病状が出たわけではなく、到着2日目にして咳、熱、幻聴と実に重ーい症状が表れてきたようだ。本人は元気のつもりだが、傍から見ると重病人そのもの。立つこともままならず、顔色も鉛色でつらそうだ。
ノリコさんは至って元気ですぐにでもカイラス方面へ旅立てる準備ができているのだが、彼を放っておくこともできず、病院に寝泊りまでして彼に付き添うこととなった。
「これも修行のひとつだよね。」
と修行好きのノリコさんが残念そうに呟いた。

とてもとても症状は悪いのにこのスペイン人、かなーりわがまま。点滴も酸素も嫌々で自ら取り外そうとしてしまう。おまけにトイレも間に合わず、ベッドの上でしてしまう始末。決して彼女でも妻でもないノリコさんが下のお世話までする羽目となった。かわいそうに・・・。

少し体調も良くなった3日目の夜のこと。
深夜、急患である男性が隣のベッドに運ばれてきた。交通事故か、かなりの重態で身体も血まみれ。部屋にいたノリコさん曰く、
「内臓の音が聞こえてくるの・・・。」
と恐ろしいものだったらしい。
ジョルディンは、ごっつく大きいそれなりのカメラを持っている。その重病の男性の写真を撮ろうとし、皆に止められたらしい。やめとけってぇ〜〜。
朝には重病の男性はどこかへ運ばれていった。おそらく亡くなったのだろう・・・。それにしてもジョルディンの野次馬根性と言ったら、、。

それでも大人しく(?)、3日間ほど入院していた彼だが、我慢できなくなったのか病院脱走した!タクシーでホテルまで戻ったのだ。ノリコさんから警察へ情報は行き渡っていたが、警察も疲れていたのか彼を呼び戻す気配はなかった。そして、翌々日にはイエチョン行きのバスに乗り、チベットを去ったようだ。更には親に説得され、国に帰るらしい。
しかし、一体何のためにチベットにやって来たのか・・・。大人しく入院すれば回復するはずなのに。もったいない。
ちなみに彼はチャリダーで、カイラスの巡礼の2周目は自転車で回る予定だったようだ(絶対無理! by Taka)。

彼の最後の吐き捨て言葉、
「中国人も日本人も嫌いだー。」
彼は病気でもないのに、中国にだまされ無理矢理入院させられ高額な医療費を請求されたと思っている。中国人も日本人もよってたかって自分を騙している!そんな被害妄想を受けているようだった。付き添い看病していたノリコさんが実に気の毒だー。
また、彼は吸入されていた酸素をモルヒネだと勘違いしていたらしい。彼の妄想もここまで度を越すとかわいらしくさえ感じてしまう。

ジョルディンを知っている別のチャリダーがアリに辿り着いた。(ジョルディンはチャリダーだが、アリまではバスで来ている。彼は本物のチャリダー(?)でイエチョンからアリまで自転車でやって来ていた!すごい。)
「スペイン人男性を知っているか?」
と聞くと、
「Ah〜、ベリー・ジョルディン!!」
意味は滅茶苦茶だが、彼の言わんとすることがよーく分かった。

公安、外国人旅行証の取得。(アリ)

アリの市内にいて、外国人旅行証につい確認されることはほとんど無いようだ。

私たちは病院にて、公安の担当者と顔を会わせていた。
私が元気になったら、公安に行くとは言ってあったが、それほど深刻に捉えているといった感じでもない。

公安はアリの東町外れにある。とても大きな建物だし、さぞたくさんの人が働いているのだろうかと思う。実際にはどうも人影は少なく、妙に殺伐とした雰囲気が漂っているビルだ。アリ全般に言えることだが、機能に対して建物が大きすぎるのではないか。
歩いていくのはちょっと遠すぎる。私が話した旅行者の全ては、タクシー(乗合含む)で行っていたようだ。ただし、公安の営業時間(?)は短いようなので、お昼時などちゃんと外していかないと待たないとならない。

「旅行許可申請書」の用紙を、ヒョイッと渡された。パスポートやビザの内容を写していく。さらに「行きたい場所」を書く欄を埋める。
その間にパスポートの内容を、係官も写し取っているようだ。5分程度で「旅行許可証」を渡された。ちゃんとした紙で、役所の書類だぞ、といった感じ。ところで、自分たちで書いた「行きたい場所」には意味はないようだ。公安は既にグゲ遺跡やカイラス山、シガチェに至るまでの地名を「旅行許可証」に記載してくれていた。向こうとしても細かいことをアレコレ聞いたりするより、全員に一通りの許可を出してしまう方がラクなのだろう。

1人350元ナリ(罰金300元、許可証50元)。
金額は安くはないが、何か面倒ごとに巻き込まれることが減るなら安いと思える。

●盛況の INTERNET BAR。(アリ)

中国電信の運営している(?)INTERNET BARは、とても良い!

暖房が効いていてとても暖かいし、お茶のサービスもある。
日本語の"読み書き"も言えばすぐに設定してくれる。

アリには、他にもインターネットカフェは存在しているのだが、外国人はお断りだったりする。もっとも、値段やサービスを考えれば、中国電信に行く以外は考えられない。

日々盛況。
土日などは開いている席もなく、しばらく待たないとならない。
西チベットにいることを忘れるくらいに快適な環境なのだった。

●グゲ遺跡に向けてランクルチャーター!

予定外に2週間も滞在してしまったアリ。
私たちは早くアリを離れたくてしょうがなくなっていた。

ここ数日、アリを出発しようとしては失敗していたのだ。

バス。乗客が集まらないこともあるのだろうが、出発が不定期。いつ出るのか信用できない。値段も他地域に比べて数倍は高いし、なるべくなら利用したくない。
ヒッチ。郵便局の車の日付が合わないなどツイテいない。

無許可営業車。バス停でのんびりしていたら、声を掛けてきた。私たちも安く行きたいし、お互いの利益は一致。チャーター金額も交渉の末決定。しかし"いざ出発!"という段階になって公安(交通警察)が登場。無理やりに解散させられた。
巡礼用北京ジープ。チベタン茶屋で私たちを乗せて行ってくれるように交渉。ようやく出発できると約束の場所で待つも、北京ジープは現れず。何か事情があったにせよ、すっぽかされるのは気分悪い。

この日、偶然に人も増え、ついに集団は6人になった。

私たち2人
タシュクルガンで会ったノリコさん
ノリコさんの友人のノブさん
私たちと同じ宿に泊まっていたハマちゃん&マンギョン(韓国人)

※ハマちゃんとノブさんは知人だったとすぐに判明

アリからグゲ遺跡を経由して、カイラス山(カン・リンポチェ)に向かう旅路を思い浮かべて言う。「ランクルチャーターして行っちゃおう!」

ハマちゃんとマンギョンを除いて、もう4人は行く気満々になっていた。しかし、マンギョンは所持金が少ないために、グゲ遺跡に行くよりも直接にカイラス山に行くことを考えている。
「いやぁ〜、西チベットまで来てグゲに行かないなんて考えられないよ!」
「グゲの夕陽は凄いらしいよ。このパンフレット見てよ。」
「・・・」
あれこれと説得しようとするノブさんの話を、ハマちゃんがマンギョンに通訳する。
「Guge is great!」

「おいおいそれだけかよぉ〜!」
一生懸命説得していたつもりがその一言で片付けられ、力が抜けた様子。何だか面白い。後で分かったのだが、マンギョンはある程度日本語を理解していた。

何だかんだとグゲ遺跡について話すうちに、ハマちゃんとマンギョンもグゲに行くことが決定。ランドクルーザーのチャーター交渉に向かう。
当初の言い値4,500元から3,300元まで値切り、交渉は成立。私たちは6人いるので1人当たり550元。

バスでツァンダ(グゲ遺跡近くの町)まで行くと片道260元。いったんアリまで戻ってこないと、カイラス山のあるタルチェンまでは行けない。アリからタルチェンへは、230元〜280元ほどかかる。
そう考えると、ほぼグゲ遺跡往復の値段だけでタルチェンまで行けてしまう金額だ。しかも、グゲ遺跡はツァンダの町から18kmもあり、普通なら歩いていかなければならないところを車でサーッと気持ちよく送ってもらえる!これはとてもラクちんだ。

私たちは"善は急げ"で、すぐに出発準備を済ませ、10分後には車上の人となっていた。

1日目 アリ→ツァンダ
2日目 ツァンダ→グゲ遺跡→ツァンダ
3日目 ツァンダ→ティルタブリ(聖地)→タルチェン(カイラス山)

up↑

++アリのレストラン++

人民医院に近い「成都小餐」は少し高めだが、何でも美味しい。いつも混雑している。

バス停の近い交差点を西に行くとすぐ左手にある「重慶特色小吃」はスープ類が美味しい。

バス停の目の前にある「面食王」はサービスと従業員全員の笑顔がとてもいい。

バス停近くの2階と、天縁旅館の近くに「HAPPY TIME」というチェーン店があり、ハンバーガー(8元)やポテト(5元、)おいしいパンが食べられる。

●絶景!ウイグルの火焔山など比較にもならない!(ツァンダ)

「凄い凄い!」
「来た甲斐あったぁ〜!!」
「まだグゲ遺跡にも行ってないのにね〜。」
「いやぁ〜本当に凄いね。夕陽で凄い映えてるよ。」
「朝日と夕陽は、2割増しだね〜。」

全員が興奮し、車を止めてもらい写真を撮りに外に出る。
車は長年の風雨によって削り取られた谷の中を進む道を走っており、周囲全てを土林が取り囲んでいる。ウイグルの火焔山どころの規模ではなく、より細かく、より美しい。

アリの町をようやく離れられたという興奮もあり、意外にも舗装された道を突き進むランクルに乗っているのはとても不思議な気分だった。最近まではチャーターなどするとは思ってもいなかったのだ。それがいつの間にか大所帯になりランクルチャーター。本当に都合の良い急展開だ。

右がツァンダとの看板を見て、ランクルは国道を右に外れる。舗装されていた国道とは違い、荒地に水が流れる中を進む。寒さのために流れる水の半分ほどは凍っている。道が川になってしまっており、ランクルが進まなくなってしまった。運転手は4WDにモードを替え、何とか先に車を進める。
このツァンダへの道の始めの試練からしてランクルでなかったら通過できなかっただろう。バスはそもそもどうやって進むのだろう?こういう状況なのでバスは出なかったのだろうか。

ランクルは、タルチョがはためく5,000m級の峠を越え、どんどんと辺鄙な場所に進んでいく。
「いやぁ〜、ランクルで良かったよ。」
「バスじゃどうなってたか分からないね。」
「北京ジープだって不安だよ。」

そんな話をしているうちに、グランドキャニオンのような大峡谷が見えてきた。遠くから見ているだけでも、何だか凄いところに来たと興奮していたのが、どんどん近づいてくる。
しかも、ランクルは"その中"を走っているのだ。

まだランクルツアーは始まったばかりなのに、最初から凄い景色を見て興奮しながらツァンダの町に着いた。

●早朝の祈りの姿。(ツァンダ)

早朝に起きてカメラを持ち、ツァンダの町に踏み出した。

メインストリート1本以外は、全て旧市街といった雰囲気だ。
川は崖のはるか下を流れている。トリンゴンパが川沿いに建っている。さらに川沿いには、数え切れないほどの仏塔が続く。

ゴンパを中心にコルラ(祈りながら周囲を練り歩く)する人たちが、どこからともなく現れてくる。マニ車(※)を回しながら、チベットの独特な衣装であるチュバを身につけ、お祈りをしながら歩く。
ようやくチベットらしいチベットの町にやって来たのだと実感した。

山間から姿を現す太陽と、祈る人々、周囲の土林、美しい組み合わせだ。

※円筒の内部に経文を納めたもので、1回まわすと経文を1回読んだことになる。

●こんな遺跡見たことない!グゲ遺跡最高!(ツァンダ)

ツァンダの町を出発してほぼ半時間ほど、ついにグゲ遺跡の姿が見えた!
「停車してもらえますか?(中国語)」

車は少し進んで停まった。

前日に感動した周囲の土林は相変わらずに、グゲ遺跡は小高い山1つ全てを遺跡とするような形で聳え立っていた。大きさが全く違うけれど、マユは「ハウルの動く城」みたいだね〜、と言っている。何だか、それもとても分かる気がする。

そそり立つ崖に、無数に開けられた穴倉住居の跡。崖にへばりつくように建つ寺院群。山頂に建つ王宮。その全てを合わせた雰囲気が「遺跡だぁ〜」という感じ。
周囲にも穴倉住居の跡や仏塔、要塞跡のようなものが点在し、かつてはここが王都だったのだと思い至る。それにしても、今周囲を眺めると荒れ果てた土地といった感じ。夏になると違った表情を見せるのかもしれないが、どうやって多くの人間を養うだけの食料を手に入れていたのだろう。
そんな荒涼として見えるこの大地を奪いに、現在のインドにあたるラダックから軍隊が攻めてきてグゲ王国は最終的に滅ぼされたらしい。中国にはこういった遺跡跡がたくさんあるが、チベットのこの雰囲気はまた特別なものだ。

入口に辿り着き、遺跡の上方を仰ぎ見る。
「凄い!」
入場料100元も納得して払い、ガイド(寺院の鍵を持っている)と共に遺跡に入る。

穴倉住居跡などは朽ちていくままに放置されている。訪問する客が増えるにつれて、崩壊は速度を速めそうだ。なるべく足元を壊さないようにと慎重になる。

寺院の壁画は削り取られ、多くの像は破壊されつくしていた。分かっていたことだが、文化大革命やチベット侵略(1949-1950)時の宗教施設破壊は物凄い規模だ。こんな、グゲ遺跡という土田舎にある施設まで破壊しに、わざわざ訪れる執念は物凄い。おそらく当時には車が通れる道すらなかっただろうに。

破壊されていても、その仏像や仏画にはとても雰囲気があった。仏教に詳しくない私なので、特にどうということもないはずなのだが、かつて"熱心に信仰されていた"という感じが伝わってくるのだ。
チベット仏教にハマっているノブさんは、とても熱心にアレコレ言いながら見学している。
余りにじっくりと見ているものだから、鍵を持っているガイドは飽きてイライラしている様子がありありだった。まだ大人になりきっていない年頃で、イライラしている姿の自分すら見えていないようだった。まぁ、そういうこともあるだろうが・・・。

寺院群は中腹ほどまでで終わり。
穴倉住居だけでなく、壁を作り崖にへばりついていた住居跡などもこの辺までが多い。
さらに上部へ急な洞窟状の階段が続く。上部には王宮があり、かつては特別な者以外は上に行くことなど許されなかったのだろう。山頂部には、王宮という名で想像するような大きな建物ではなく割と慎ましやかな規模の建物がある。そもそも、山頂部のスペースの問題もある。その感じから、王族がかつて"贅沢の限りを尽くしていた"という雰囲気でもない。

山頂から見ると、周囲は全てほぼ垂直な崖に囲まれている。洞窟状の階段で上って来たが、それは周りには上れるような場所が無いからなのだ。
全く物凄い遺跡だ。
一緒に訪れたハマちゃんいわく「マチュピチュとグゲとどちらが1番かなぁ〜」。人によって印象も違うだろうが、グゲは無名でもそれほどに印象深い遺跡だと言うことだ。

遺跡山頂から見る景色も素晴らしかった。
暗くなる前に遺跡を降り、グゲ遺跡で夕陽を堪能し、ツァンダへの帰途についた。昨日、今日の2日間と本当に充実した日が続いている。明日以降のカイラス山も本当に素晴らしいものになる予感がしてきた。

up↑

++ゴンパとか++

「ゴンパ」とは僧院のこと。お寺とは少し違う。
「チョルテン」とは仏塔のこと。
「チュバ」とはチベタンが着るとても暖かくて重くて、味のあるコートのような着物。

神秘的・城。(ツァンダ)

グゲ遺跡・・・「グランドキャニオンの100倍、風の谷のナウシカ」と例えられている。
その表現もまんざらではない気がする。グゲ遺跡がもし人間だったのなら、その人は超ミラクルなエネルギーオーラを出す神秘的人物なはずだ!

この辺一帯を覆いつくす土林はどちらかと言うと縦にラインが入った模様をしているが、その中でも突如現れるグゲ遺跡は珍妙で横にラインが入った模様をしている。少し遠くから見ると見事にお城そのもので、こんな荒涼とした土地にあるという要素も加わってかなり畏怖深い。本当に素晴らしい・・・。

一番てっぺんから見る景色も絶景だ。落ちてしまったら、命を落とすこと間違いなしの高さだ。当時は見晴らしとしても、敵の攻撃から守るのにも都合良かったのだろう。
遺跡の素材は土と石で、決して強くはない素材なので歩いていると砂がポロポロ落ちてくる。かつての名残として、壁や部屋があった雰囲気が残っているが、「なくなりそうでなくならない感」がいいのかもしれない。

温泉のある聖地。(ティルタブリ)

まだ数えるほどしかゴンパを見ていないが、ティルタブリの雰囲気は"信仰のための場所"であるということだ。観光地化されていない。生きている信仰の場に踏み込んでしまったようで、観光気分で来ている自分が何かまずいことをしてしまったような感じすらした。

もう冬の足音も聞こえる時期でもあり、ティルタブリを訪れている信者も少ない。2人だけが、五体投地していた。この時期は、さすがにカイラス山でもコルラする熱心な信者は少ないのだろうか。

丘の上にたくさんのタルチョがはためき、祈りの文字が刻まれた石が積まれている。温泉の湯煙があがり、独特の雰囲気だ。ここが聖地となったのも分かる気がする。

温泉といっても、日本のそれのように浸かったり出来るわけではない。
それでも足湯をしようとノブさんとノリコさんが湯に近づく。
ヅボッ!
ノブさんの足が埋まっている!温泉が沸き、湯が流れる辺り一体は地面がとても緩いのだ。真っ白に染まってしまったノブさんだが、余り気にしていないようだ。でも、温泉のお湯で白い泥を落とし、びしょびしょに濡れてしまったノブさんは寒そうだった。

ちなみに足湯をする者、手を温める者・・・でも、外気温が余りに寒すぎて(ほぼ0℃、風有り)気持ちが良いどころではなかった。

●カイラス山に向けて最後の一走り!(タルチェン)

ティルタブリからタルチェンに向かう途中のムンチェルという小さい町で、私とマユと一緒のバス(イエチョン−アリ)でチベットに来た岩崎さんをランクルに拾った。これで、ランクルに乗った総勢は運転手を除いて7名。とても大所帯でのカイラス山行きだ。

岩崎さんはその後の行動も含めて、実にパワフルで計画性が少ない。でも、なぜかそれをやってしまっても不思議ではないという感じのキャラクターだ。ツァンダからグゲ遺跡に行った際も、(他に方法がないので)歩いていき、歩いて帰る時間がなくなりチケット売り場に寝させてもらったらしい。
ティルタブリへも、ちゃんと歩いていったらしい。・・・それよりも何よりも、その後にカイラス山で氷点下15℃程度の中を2泊も野宿(特に装備なし)して元気だったというのが凄い・・・。

舗装はされていないが、国道だけあってそれなりに整備されている。
ランクルは快適に進み左手にカイラス山が見えてきた。カイラス山の写真を撮り、遠くに見える町がタルチェンだろうと想像する。
ヤクの群れとそれを率いるチベタンが目に入ると、再びランクルを停めた。ノブさんを先頭に、私と岩崎さん以外がヤクの方に走っていく。

カイラス山よりも、ヤクとチベタンに夢中なようだ。運転手も、最終目的地が目の前なのに乗客がなかなか帰ってこない(仕事が終わらない)ので、ちょっとイラついている。何だかちょっとその様子は面白い。

(By Mayu) カイラス山をバックにカメラに収めた遊牧民とヤクの姿は最高だ!初めて目にするカイラス山は本当に神々しかった・・・。

タルチェンの町には"ランクルじゃないと通れないんじゃないか?"というような川越えをして辿り着いた。
カイラス山巡礼の基点となるタルチェンは、チベタンだけの住む街のようで漢民族の姿は見えない。冬が近いからかもしれないが、何だか"寒さ"さえ見えるような気がした。

up↑

前へ 次へ


++ムンチェル++

ティルタプリに行く途中にあるムンチェルの村は食堂、宿、商店がある。食堂は麺10元〜、宿はとても寒いらしい。バスが止まる町でもあるし、車の往来も結構ある。